「…あの、そんなに見つめられると着替え辛いんだけど」


解散後、それぞれの部屋ごとに別れ、着替えをした後に練習開始。という予定だった。

少しの練習も削りたくないリョーマは、第一班(不二、観月、忍足、南)のロッジに入ると、着替えに勤しんだ。

…が、先程から背中に感じる熱い視線。これでは流石のリョーマも着替えし辛かった。


「んふ、お気になさらずに。着替えが終わってしまって暇なだけですから」

「そや、別に気にするもんでもないやろ」


リョーマより後から着替え始めた二人なのに、既にその姿はいつでも練習に参加出来る状態のものであった。

二人共、どちらかと言うと部内ではまとめ役なのだから、さっさとコートに行った方がいいのに…

そう思ったが、リョーマは口を噤んだ。


「リョーマ君の着替えが珍しいのは解るけど、そんなに見ないでくれないかな」


リョーマを背中に隠すような形で、不二が身を盾にした。

チャンス、とばかりに急いで着替えを進めるリョーマ。

忍足と観月はあからさまに舌打ちをして見せた。


「邪魔をしないでくれますかね、不二君?」

「邪魔?リョーマ君の着替えの邪魔をしてるのは君達でしょ?」

「ちょっとぐらいええやん!お前は見慣れてんやろけど、俺達は見る機会ないねんで!」

「…君達みたいなのに見つめられると、リョーマ君が妊娠しそうだから、駄目vv」


にっこりと微笑むと、何とも有り得ない事を口走る不二。

着替えを終えたリョーマは頭痛を覚え、そしてとことこと部屋の隅に行った。


「ねぇ…山吹の人。何でこっちで着替えないの?」

「山吹の人って…; 俺は南健太郎っていうんだ」

「ふ〜ん、南さんね。…で、何で?」

「…あそこの空気には、正直入れない。怖いし」


南が正直な感想を洩らすと、リョーマは目をパチクリとした後、クスリと笑った。


「なーんか俺、結構南さん好きかも。ね、一緒にコートまで行こうよ?」

「そりゃ、俺にしてみれば願ってもないけど…アレを放って置いていいのか?」


南が指差した先に居るのは、未だ言い争いを続けている不二、観月、忍足。

リョーマは軽く一瞥すると、南の手をスルリと取った。


「いいんすよ、あの人達変だし。南さんの方がよっぽど普通で良い」


少し不機嫌な面持ちで、南の手を引くリョーマ。

最初こそは慌てたが、南も引かれるままに歩き、ロッジを出た。


「でも、本当にいいのか?俺よりあいつらの方が…」

「まだ言うの?俺は南さんの方がいいのっ」


何とも男殺しな台詞である。リョーマの事を少なからず想っている南は、ドキリと胸が鳴るのを感じた。

普段地味だと言われている、自分の素朴な所を気に入ってくれた事が嬉しかったのもあるのだろう。

南はリョーマと繋いでいる手の力を、少しだけ強めた。


「あー!南、何抜け駆けしてるんだよー!!」


着替えを終えたらしい千石が、近くのロッジから出てきて、南を羽交い絞めにした。

驚いたのと見られた事も手伝って、南は繋いでいた手をパッと放してしまった。


「…千石!お前なぁ…!」

「抜け駆けするのが悪いんだよ〜。リョーマ君、南に何もされなかった?」


にっこりと、リョーマに目線を合わせて言う千石。リョーマは小さく溜息をついた。


「…別に、あんたの方がよっぽど危険だし。…じゃ、俺らの使うコートはあっちだから」


リョーマは軽く頭を下げると、青学が使用する予定のコートに歩いて行った。

二日目以降は合同の練習が行われるらしいが、取り敢えず初日は普段通り、チームごとの練習であった。

千石もコートに行こうと歩き出したが、立ち竦んだままの南を不審に思い、その顔を覗いた。


「みーなみ?どしたの??」

「…な、何でもない…」


顔を真っ赤に染めた南を見た千石が、南を【要注意人物リスト】に加えた事は言わずもがな、だろう。

























「あ、おっチビちゃーん♪ …一人なの?不二はどした?」


コートには、すでにリョーマと不二を除いたメンバーが揃っていた。

けれどまだ開始時間まで余裕があるらしく、手塚の怒声が響く事はなかった。


「あー…不二先輩は…後で来ます」


説明する事も面倒なので、そう言った。

菊丸は「えー、不二がおチビを一人にしておくなんて珍しい〜」と呟きながら、リョーマの身体に抱きついた。


「英二先輩…邪魔。重い、暑い」

「んにゃvv 何とでも言ってvv」

「………」


リョーマは少しだけ眉を寄せているが、それ程この行為が嫌と言うわけでもなく、そのままにした。

嫌いというか、むしろ少し好きだった。菊丸に抱きしめられている時には、安心さえ感じる程に。

しかし素直な性格ではないので、どうしても憎まれ口をたたいてしまう。


「英二、邪魔だってよ?放してあげたら?」

「あ、不二」


リョーマはギクリと顔を声のした方へ向けた。

…先程部屋に置いてきてしまった不二が、こちらへやって来たのだ。…何か言われるだろうか、そんな事を思っていた。


「…リョーマ君、南君と一緒だったんだってね?何もされなかった…?」


リョーマに張り付いていた菊丸をベリッと剥がすと、不二はそっとリョーマの肩に手を置いた。

まるで壊れ物に触れるかのように、そっと…


「何もないッスよ…。不二先輩が、いつまでもクダラナイこと言ってるから…」

「ごめんねv 本当は僕と一緒に居たかったよね?」

「な、何もそこまで言ってないッスけど…」

「うん、大丈夫。君の気持ちは解ってるからvv」


不二は自己完結し、上機嫌でコートに入って行った。

これほどまでに機嫌の良い不二はなかなか見られない。一瞬呆然とした手塚だったが、全員が揃ったので声を張り上げた。


「では練習を開始する!二人ペアを作って、サーブ&ストローク練習だ!」

「「「「はい!」」」」


今回の合宿は、自由参加だった。だから家の都合で来られない河村の穴があり、珍しく偶数練習が可能だった。

他校もそれは同じだったようで、不動峰に至っては三人しか来ていない。

…もし、越前リョーマと一緒に過ごせると知っていたら、彼らも無理をして来ていたに違いないが。


「…ふーん。河村先輩の声がしてないと、結構静かに感じますね」


リョーマはポツリと、隣に居た桃城に言った。


「何だよ越前。タカさんが恋しいのか〜?」

「………別に」


拗ねたように口を尖らせるリョーマ。ハッキリ言って、この反応は桃城にとって嬉しくない。

まるで自分と居るよりもタカさんと居る方が良い。と言われている気になってしまう。


「…何となく、全員で参加したかったなぁって思って」


そう、河村が高校へ行ったらテニスを辞める事は、青学レギュラーは全員知っていた。

だからこそ、少ない時間を全員で過ごしたかったのだった。


「…まぁ、別に今回が最後じゃねえよ。合宿、結構やってるんだぜ?うちの学校は」


慰めるつもりではなく、事実だった。去年などは夏に二回、五日間の泊りがけの合宿と、冬には遊びも交えて三日間の合宿をした。

冬に行うのは、居なくなる三年を送り出す会も交えるからだ。毎年の行事を重んじる手塚の事だから、今年もやるだろう。

桃城は一種の確信を持って、リョーマに話した。


「そうなんすか…良かった」

「おう、だからんなに気にすんなよ?ボーとして怪我したら、それこそタカさんに笑われるぞ」


桃城はリョーマの頭をポンポンと軽く叩くと、コートに入って行った。

普段通りの剛速球をラリーで繰り出している桃城に、リョーマは薄く笑みを洩らした。


(ありがと、桃先輩)


リョーマは河村の事だけじゃなく、三年全員の事を思っていた。

自分にとって、三年と一緒に居られる時間はあまり長くない。勝ちたいのに、勝てない二年という歳月の壁。

それをリョーマは不安に思っていた。もしかしたら、何も敵わないまま卒業されてしまうのでは…と。

その不安が少しでも和らぎ、リョーマは笑みを浮かべたのだった。


「次、越前だよ」

「うぃっす…」


後ろから乾に声をかけられ、リョーマはコートに足を運んだ。

今という限界を、楽しむために。
















「…やっぱり可愛いな。流石は俺のリョーマだぜ」


フェンス越しに、リョーマに熱視線を送る人物が一人…


「ほーんとかわE〜vv …別に跡部のじゃないと思うけど〜(ボソ)」


いや、二人。氷帝の跡部景吾と、芥川慈郎だった。

休憩時間ではないはずなのに、二人共食い入るように見つめていた。


「何か言ったか、ジロー?」


リョーマに向ける視線は変えず、隣に居る慈郎に問いかける跡部。

慈郎も跡部を見ようとはせず、ヘラヘラと笑った。


「何にも言ってないよ。よし、リョーマと仲良くなるように頑張ろうっと!」

「ああん?何寝惚けた事言ってんだ」

「寝惚けてないよーだ!俺、今日の昼食当番だもん♪」


昼食当番=リョーマと一緒。跡部は0.001秒でその式を頭に浮かべた。

…そして、慈郎を睨む。


「…ジロー、俺様が直々にお前の相手をしてやるよ」

「…え; も、もう終了時間近いし〜…」

「おい宍戸!終了まであとどれぐらいだ!!!?」


近くに居た宍戸に、時間を確認させる。宍戸は「また俺に火花が向くのかよ…」と言いたげな表情で腕の時計を見た。


「あと五分だぜ」

「五分か…。それだけあれば十分だ。ジロー、五分間、踊ってもらうぜ」


それを聞いた慈郎は真っ青になって、首をブンブンと横に振った。

…が、跡部が許すはずもなく、襟を掴まれて引きずられていく。…さながら、ドナドナのように。

リョーマを再び見るまでの五分間、氷帝のコートには慈郎の叫び声だけが響いていたとか、いないとか。